元プロ野球選手/元プロ野球コーチ/野球解説者
和歌山県出身。和歌山県立星林高等学校では甲子園出場。
1968年に南海ホークスよりドラフト3位で入団。
1975年にヤクルトへトレード移籍。1979年に現役引退。現役引退後は、野村克也監督に指導者の適性、才能を見出され、二軍監督、一軍ヘッドコーチを務め、野村ヤクルトを参謀として支えた。野村監督には「オレがヤクルトで育てたのは古田ではなく、松井だ」と言わしめた。野村監督が阪神タイガースの監督就任に伴い、ヘッドコーチに就任。
退任後は、球団の編成担当として活躍。その後、東北楽天ゴールデンイーグルスのヘッドコーチに就任。2006年より野村監督とタッグを組み、二軍監督を歴任。2011年にはヤクルトで二軍育成コーチ兼寮長、ファームディレクター、編成部長として活躍。2015年のリーグ優勝に貢献。日本を代表する選手を多く育成し、その「人間教育」には定評がある。
ヤクルトスワローズ、楽天ゴールデンイーグルスの二軍監督などファームでの指導歴が長く、またマネージャー等の裏方も経験し、チームの黄金期を支える若手(ヤクルト=山田哲人、楽天=銀次など)を数多く育てた。その人間教育に定評があり、ビジネスでの人材育成に共通することが多くあります。プロ野球の現場にて培った人材育成法をお話しします。
プロ野球に入って選手としてより、「野村監督の懐刀」と言う印象が強い。ヤクルトの黄金期、新球団楽天の初のクライマックスシリーズ進出等、野村克也監督の横でその快進撃を支えた。「ノムラ野球を自分が語るのは僭越」と謙遜しながら、40年近く野村克也監督の側近として支えた経験から、人材育成論、上司論、組織論のエッセンスをお届けします。
野村監督と言えば「野村ノート」、「ID野球」などが有名だが、松井氏いわく、「それはあくまでノムラ野球の端っこの話」だそうだ。体力、気力、知力などを合わせた「人間としてのトータル」を試合に向けて準備するしかない、と言う話はビジネスマンにも通用する話。40年近く野村克也の側近として学んだことを松井流の切り口にてお話しします。